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一般社団法人 日本LD学会 理事長 上野一彦氏

略歴

1943年生れ、東京都出身。東京大学大学院修了後、東京大学助手、東京学芸大学講師、助教授、1990年より教授、2009年退職。東京学芸大学名誉教授。現在、大学入試センター特任教授。早くからLD教育の必要性を主張。その支援教育を実践するとともに啓発活動を行い、1990年全国LD親の会、1992年日本LD学会設立に携わる。ITPA、WISC-Ⅲ、LDI-R(LD判断のための調査票)、PVT-Rなどの尺度開発。文部科学省「学習障害児の指導方法に関する調査研究」「21世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究」「特別支援教育の在り方に関する調査研究」の協力者会議委員、東京都「心身障害教育改善検討委員会」委員長等を務める。1994年より日本LD学会会長、2009年同法人化に伴い一般社団法人日本LD学会理事長。一般財団法人特別支援教育士資格認定協会副理事長。財団法人日本英語検定協会理事等。
著書に「LDとADHD(講談社)」 「LDとディスレクシア(講談社)」「LD教授(パパ)の贈り物(講談社)」「LDを活かして生きよう(ぶどう社)」など多数。学校心理士、特別支援教育士SV、文部科学省小中局視学委員、東京都特別支援教育心理士等。[HPより抜粋]

LD児をめぐる現状のいいところと改善できるところを教えてください

いいところは発達障害者支援システムの枠組みができてきたところだと思う。
特別支援学級や通級による指導での支援の仕組みができた。そして、今年度から大学入試センター試験にも「発達障害者への配慮」が明記されました。
幼児教育、小・中・高等学校から大学などの高等教育でも支援システムの枠組ができてきました。
これで初めて幼児期から大人までのすべての教育段階で発達障害者支援システムができたことになるわけで、そこは評価すべき点だと思う。
また、特別支援教育の推進体制事業では学校で支援を行うことが校長の責務として明記されたことも重要です。
ただ、現状で満足すべきレベルに達したとは思っていません。これからそのシステムをさらに充実させていくことが鍵だし、充実のスピードを上げていくことがなによりも必要です。
現在は自治体の予算によって発達障害者支援の質、量ともに地域差があるし、通常学級の中での支援だけでなく、取り出し指導も必要な場合もあり、通級による指導は今後大きく伸びていくと思います。しかし、他校に通級するといった形態は、子どもの負担がかかり過ぎると思う。
よりよい形態は、水位が上がるようにゆっくりできあがっていくと思う。よい支援サービスは、利用しやすくて、効果が上がるということが重要なのです。
発達障害者支援システムとしては幼児期から青年期までつながってきた、アメリカでもシステムができてからうまく動くようになるのに15年かかったといわれます。
発達障害者支援の内容と質をスピード感を持って向上させるためには、意識の高い発達障害の専門的教師を育成し配置していかないといけないと思います。

国は非常勤の特別支援教育支援員を各学校に置くという方策に力を入れているが、それだけでは十分な教育効果は期待できないと思います。やはり専門の教師の配置です。
国の努力は努力として、親もよい支援サービスの実現を一緒に訴えていかなければいけないと思います。
これからは良い支援員を作るためのプログラムも作っていかないといけないわけです。
ただ、学校教育が大きく変化していることも事実です。充実した支援を積極的に求めていくしかないと思う。
学校教育に続く就労などに関しても、例えばイギリスでは消防士になる人でディスレクシアの人用のトレーニングプログラムがあるし、電話の応答を支援する(電話の内容をテロップで表示される)装置等が税金でまかなわれるといった実例もあります。
そういった支援のツールも「目が悪いからメガネをかける」ように手軽なものになっていかないとだめですね。
今はそのメガネが数十万円もしているような状態。これでは使いたくても手が届かないのも当然です。
私はこうした子どもたちの就学や進学のあり方に携わってここまできました。
これからの課題として、もっとどの青年たちも経験しているような「人間らしい生き方」ってものを求めて考えていくべきではないかと思います。
私はこうした青年たちがそれぞれに幸せな家庭を築いていって欲しいと思っています。しかし、学校でもいろいろな困難を抱え、人間としての豊かな育ちが補償されていないことも多いのです。一般に、学歴は社会で自立するための万能のパスポートという信仰がありますが、必ずしもそうではありません。浮ついた職業観やイケメン等の言葉に象徴される人間観がもてはやされていますが、何か大切なことが忘れ去られている気がします。
発達障害があっても、理解の中でさまざまなチャレンジをし、何度も失敗しながらいろいろなことを身につけていくっていう経験をもっとできないものかと思います。
だれだってそうやって生きてきて、いろいろなことを身につけてきたはずだからです。
また、日本の文化として、障害者教育のなかで男女交際とか、性に関係する部分を後回しというか、避けて通る傾向があるのではないでしょうか。
そういった部分ももっとオープンにいろいろ考えていく世の中にならないと本物とはいえません。
親御さんのなかには学歴が武器になると思っている人がいる。でもそれが本当に武器になるのかと問いたい。本当に世の中で生活していくために必要な実力とはなんなのか、それはしっかりとした人間観や仕事観だったりするのではと思います。
海外では発達障害の人にむいた仕事のなかに、さまざまな根気のいるコンピュータ関連の仕事や職人的仕事が向いているのではないかという考え方があります。また、対人的な介護の仕事などでも、一定の安定したケアを提供したりする仕事っ向いているのではといわれます。自立と社会参加をゴールに天職といった考え方での準備教育が大切なのではないかと思います。